カテゴリ:サッカーのこと( 5 )

特別な時間

高一から24年の付き合いになるケイ。出会った頃は、かなりおとなしい印象だったかな。(俺が言うのもなんだけど)でも付き合い始めてからはケイの明るさや行動力、当時ハマってた音楽について熱く語る姿を見ていたら、自分には無いものを持っている感じがして、一緒にいて心地よかった。熱く語り出したら止まらないケイ。無言であまり表情を変えず、ただ淡々を聞いていた俺に「かさ、なんか怒ってる?」って何回言われたっけかな。

高校卒業後、ケイが埼玉へ行く事になったときの「かさと離れるのが辛い」という言葉と、流してくれた涙。あのとき俺は、正直ビックリして言葉が出なかった。『帰ってくればまた会えるじゃん』と、軽い気持ちだった気がする。でも今思うと、生まれてから厳しい環境で育ってきたケイにとって、”時間”は特別なものなんだろうなと思った。”離れている時間”。もしかしたらそのまま二度と会えないかもしれない。という気持ちがあったかどうかわからないけど、俺に対して、自分に対して、特別な”時間”を感じてくれていたのかなと思った。


先日、ケイの特別授業に参加させてもらった。
子供達を対象に、夢を持つ事の大切さや、心からの「ありがとう」と「ごめんね」を言う大切さなど、様々なテーマを、サッカーというツールを使って伝えている。正直、何度か参加させてもらって、うまく子供達に伝わってないんじゃないかと感じる事がある。終わった後、ダメ出しする事もある。でも、今回参加した授業はとても良かった。というか、俺自身がいろんな事を感じて、考えさせられた。子供達に伝わっているかどうかなんてわからない。どう感じるかどうかも、ひとりひとり違うだろうし、そこは自己満足でしかないのかも。何よりケイ自身がその葛藤と戦っているんだよね。(あ、ひとつケイに言おうと思って忘れたてたけど、「ありがとう」と「ごめんね」の話をしてたとき、俺の前にいた女の子が大きくうなずいてたよ^^)


授業が終わった後、「ちゃんと御礼言えなかったけど、今日はありがとね。」と、ケイが電話をくれた。「いや、こちらこそありがとう。」「またよろしく!」「あいよ〜」という短い電話だったけど、この一言が、今の俺にはとても大きかった。本当にありがとう。


普段、何気なく過ごす時間を”特別な時間”にしなきゃ。だね。



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by izanagraph | 2016-01-30 16:06 | サッカーのこと | Trackback | Comments(0)
今年で14回目を迎え、年を追う毎にグレードアップしていくこのイベント。
14回目にして初めての泊まり。懇親会にも参加できて、自分にとって記念すべき年となりました。


10月13日(大会2日目)
水沼スペシャルサッカークリニック

強いパスをしっかり蹴って、それをしっかりトラップする。サッカーの基本です。
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今までチームの練習では相手のレベルに合わせた強さのパスを出していました。
でもそれでは上手くなれない。上達のスピードが遅いという事をこの練習で気づかされました。

パス交換の仕方も、いくつもアレンジして練習。
状況が少し変わるだけで様々な注意点が生まれ、ミスも増えます。でも試合中はもっといろんな状況があり、注意点ももっと多くなるわけで、ミスは更に増えるんですよね。練習でもっと複雑な状況、いろんな注意点を意識しながらやらなければ、強くなれないという事を気づかされた練習でした。

午後は参加者全員が本当に楽しめるようにと、子どもから女性スタッフ、見学していた家族や友人までまきこんで、みんなで思いっきりピッチを走りまわってボールを追っかけてました。

そして2年前から恒例になったドリームチームによるスペシャルマッチ。
ケイ率いる水沼さん、岡島さん、寺崎さん、そして今年は幸太もメンバー入り。このドリームチームは2016年のドリームマッチのベースとなるチーム。まだまだ完成形ではないですが、今後どう進化するのかが楽しみです。
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夜におこなわれた懇親会では今年8月におこなわれたドリプラの映像も上映。
あの場で水沼さんや他県の人達にケイのプレゼンを見せる事ができ、2016年に向けて、またいろんな想いが生まれました。

懇親会の後、水沼さんを囲んでのサッカー談義。Jリーグ発足当時の貴重なお話などを聞きながら、プレゼンを見た感想をどうしても水沼さん本人の口から聞きたいと思いながらも手を上げられず…。いくつかの質問に答え、水沼さんももう締めようかという雰囲気の中、おそるおそる手を上げて質問。
水沼さんの口から「自分にできる事は出来る限り協力したい。」というとてもありがたい言葉を聞く事ができました。(あの場にいた全員が証人なので、2016年のドリームマッチ、水沼さんの参加はほぼ確定と思って間違いないでしょう(笑)そして富山、横浜、茨城、その他都道府県からもきっとたくさんの人達が来てくれると思うので、しっかり準備しなきゃです。)


10月14日(大会3日目)
富山第一高校男子サッカー部、高岡商業高校女子サッカー部、カターレ富山、横浜ベイFC、そしてPALRABOX。総勢120名を12チームにシャッフルしてのフレンドリーマッチ。
カターレの選手&スタッフがそれぞれ1名ずつ監督となり、チームをまとめます。

フレンドリーといえど、全員本気。カターレの選手からも容赦なく弾丸シュートが飛んできます。楽しみながらも絶対に負けないという気持ちで全力の守備。リーグ戦を2勝1分で、優勝決定戦に。結果は惜しくも2位でしたが、同じチームでやれたペイちゃんと一緒に一生懸命守った結果、そして富山第一の選手がしっかり決めるとこを決めてくれた結果だと満足してます。(バランスのとれためっちゃいいチームでした^^)
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帰りの車中
まだ出会って3日(内2日が富山)という方(Mさん)に、PALRABOXの過去にあった名試合(大会で絶対勝たなきゃいけない状況で1点先制された後、キャプテンだった(当時)自分がみんなを鼓舞し、逆転勝ちした試合)の話をしました。

チームを結成してすぐぐらいからキャプテンをまかされ、チームをどう盛り上げればいいか、どうやってまとめたらいいのか、どんな声をかければいいか、ずっとずっと悩みながらやってきた。でもそれは重く考えすぎていただけで、声なんてなんでもいい。普段からみんなとコミュニケーションをとり、それぞれを尊重しあい、良い所も悪い所も知った上で、声をかければいい。そして本当に気持ちが入ったときは、怒りの言葉でも、相手に響く。そんな答えようなものを自分の中に出しつつあったとき、この試合で出た言葉が

「オラ!!!もっと気持ちを出せよ!!!」

今まで出した事の無いぐらいの声量(気持ちはw)でみんなに怒りをぶつけたんです。その時「こんな自分がいたんだ」という不思議な感覚になったんです。

そう話したとき、Mさんは「この富山のイベントの副題が『~自分をみつめて~』になってたんですけど、その意味がわからなかった。けど、このお話を聞いて、ああそういう事なんだと思いました」と言ってくれました。サッカーを通して、新しい自分を見つける、自分自身を見つめ直す事ができる。そういう大会なんだと、大会を通じて、そして俺の話を通じて感じてくれたんです。

その時、俺自身がハッとなりました。PALRABOXの事をもっと知ってもらおうと思って何気なく話したエピソードが、そこに通じていたんだと俺自身もそこで気づきました。もしかしたら、この副題を付けた意図はもっと違うトコにあるかもしれないけど、そういう意図もあるんじゃないかなぁと感じました。

この大会の趣旨は、「一人でも多くの健常者と障がい者がサッカーを通して、より多くの人とふれ合い、互いに理解を深め、認め合うことにより、より豊かなスポーツライフを築いていくこと」ですが、もっともっといろんな事を体感できる、心で感じられる、素晴らしい大会だと思います。だからこそ毎年、たくさんの人が集まり続けるんだなぁと改めて感じました。

そして何より、この大会を開催し始めた岡島夫妻の「話し方」がとても好きで、声を聞くだけで「ああ今年も参加できて良かった」と思えるんですよね。(きっと俺と同じ気持ちの人もたくさんいるはずw)


来年は15回のメモリアル大会。
どんな新しい自分(残念な自分?w)を見つける事ができるか楽しみです。
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by izanagraph | 2013-10-28 18:34 | サッカーのこと | Trackback | Comments(0)

PALRABOXの永久欠番

まだ連載3回目ですが
「早く続きが読みたい」
という声が聞けて、ホントに嬉しく思います。

できる限り毎日更新していこうと思いますが
ときどき休ませてください(笑)


昨日の「初の大会」の最後
次の大会に挑む形で終わりましたが、
その前に結成時のメンバーについて
書こうと思います。




まずはチームの代表
大橋 佳介(ケイ)
背番号は10を付けています。

フェイスブックでも少し紹介しましたが
ケイは生まれつき『脳性マヒ』という
障がいがあります。

『脳性マヒ』と一言でいっても、人によって様々。
ケイの場合は右半身が思うように動きません。
あと極度の緊張により、筋肉が硬直し
うまく動けない事があります。

でもケイは、自分で
障がいがある分、人の何倍も努力しなければ
という事をいつも自分に言い聞かせ
自分自身を奮い立たせるのです。

そんなケイを見ている他のメンバーは
常に刺激を受けています。

背番号10はサッカー界では、エースナンバー。
ケイ自身も10番に誇りを持ってプレイしています。

3年ほど前から障がいが少し重くなり
自信を失いかける事もありますが、
PALRABOXの10番はケイ以外に考えられません。
ケイが誰かに譲ると言ったとしても、
俺が許しません。


2人目は「A」
※Aは今チームに在籍していないのでイニシャルで書きます。

「誕生の日」で紹介した、ケイの幼なじみです。
Aはチーム結成当初、ゴールキーパーをやっていて
背番号は1番を付けていました。

ですが「極度の近眼」という事もあり
後にフィールドプレイヤーとなります。
その頃からは8番を付けるようになりました。

Aは面倒見がよく、後に入ってくる障がい者メンバーに
すごく慕われる兄貴的な存在でした。

私はそんなAに嫉妬というか
どうすればAみたいに親しくなれるんだろうと
いつも思っていました。

Aは他に、練習以外の部分でも率先して仕事を
してくれてました。

練習前にグラウンドの状態をチェックしに行ったり
外の練習場が悪条件の時は、他の場所の確保なども。

残念ながら2009年にチームからは離れましたが
結成時からPALRABOXを影で支えた功労者です。


3人目は「N」
※Nも今は在籍してませんので、イニシャルで。

NはAの専門学校の同級生で、
一緒に社会人チームに在籍。

PALRABOX の方が自分に合ってる
という理由で社会人チームから完全移籍。

体力、スピード、ボールキープ力、シュート力
全てにおいて、チーム1でした。

ヨハン・クライフの大ファンで
背番号14を付けてました。

Nも基本的には「NO」と言わない人柄で
仲間意識も非常に高く、頼まれた事は嫌な顔ひとつせず
喜んでやってくれました。

表向きはクールなのに、めちゃくちゃ熱い男でした。


4人目は「H」
※Hも在籍してないのでイニシャルで。

私の小学校からの友人で、
一緒に漫画家を目指して、何日も同じ机に向かって
ペンを走らせていた「心の友」でした(笑)

Hは何事にも真剣に取り組む、まじめな性格で
練習メニューや、次への課題、メンバー紹介を
面白くマンガで綴った「ノート」を毎週描いてました。

それをもとに次の練習メニューを考えたり、
あのときこうだったと振り返る事ができて、
その後の活動にも、一役かってました。

背番号は7を付けてました。
付けたのは確かケイで、
チームの中で中田英寿のような重要な役割を担うだろう
という思いで付けたんじゃなかったかな。


最後は私です。
背番号は4を付けてます。

何故4かと言うと、井原正巳のファンだったから。
顔も少し似ていると言われ、4番を付ける事で
井原さんのようになれると勘違いしてたんでしょう(笑)

「アジアの壁」と言われたディフェンス。
それを目指して練習に取り組んでたような気がします。

他に好きな選手は現FCバルセロナ監督グアルディオラ。
知ってる人は気づくと思いますが、
現役時代4番を付けてました。
もちろん好き理由はそれだけではないです。

1本のパスで試合の流れをガラッと変えられる。
そんなプレイスタイルがたまらなく好きでしたね。



以上の5人が結成当初のメンバーです。
残念ながら今残ってるのはケイと私だけです。

ですが、彼らの残した実績やチームへの貢献度から
「7」「8」「14」は永久欠番としています。

他にも「16」が永久欠番なんですが、
それはまた別の機会にお話します。


つづく。。。
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by izanagraph | 2012-04-21 05:45 | サッカーのこと | Trackback | Comments(0)

PALRABOX 初の大会

3人でスタートしたPALRABOX。

その後、Aの友人Nと、私の友人Hが加わり、
5人で練習を開始。

開始当初、主な練習場所は
当時市内にひとつだけあったフットサル場。

数回練習を行って、1ヵ月後。
フットサルの大会に挑みます。

大会は、3チームずつ4つのグループに分かれ、
各グループで総当たりによる1次リーグを戦い
上位1チームのみが決勝トーナメントに進出し
優勝を争うという大会でした。
試合時間は確か10分ハーフだったかな。


第1試合。

前後半合わせて8失点。

得点はゼロ。

初戦は0-8の大敗でした。



第2試合。

相手は、第1試合に比べ
それ程強いチームではありませんでした。

ですが、それでも終始相手のペースで
結局0-3で敗北。


全く何も出来ず、2敗で
PALRABOX初の大会が終了。

内容もあまり憶えていません。

ただひたすらパスで崩され、ドリブルで抜かれ、
失点を重ねたような気がします。


チーム結成1ヵ月で大会に挑む。

一見無謀に思えるかもしれませんが、
はっきり言って無謀でしたね(笑)

ですが、今思うとこれが原点。

この経験があったから今があると思います。

その時の悔しさがあったから
強くなるための練習方法をみんなで考え、
時にはぶつかりながらも上を目指す。

16年経った今でも
そのスタイルは変わってないと思います。


そしてこの苦い経験を味わった数ヶ月後。
新たなメンバーも加わり、
再度、フットサルの大会に挑みます。


つづく。。。
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by izanagraph | 2012-04-20 07:41 | サッカーのこと | Trackback | Comments(0)

PALRABOX誕生の日

PALRABOX(パラボックス)

私が所属するサッカーチームの名称です。
今年の7月で丸16年。

今日はPALRABOXの誕生について
少し書こうと思います。


1996年7月25日

ケイ(チームの代表)から
「会わせたいヤツがいる」
と誘われ、2人で某高校のグラウンドへ。

そこにはケイの幼なじみのAがひとり。
ちょこっと挨拶し、何気なく
3人でサッカーボールを蹴り始めました。

格好は普段着。
確か3人ともスパイクは履いてたと思います。

高校の時、サッカー部に入って買ったのに
部活には全然行かず、ほとんど使わなかった、
ほぼ新品のスパイク。


1時間(もしかしたらもっとやってたかも)
始めはパスしあうだけでしたが
徐々にボールを取り合ったり、
ゴールに向かってシュートを打ったり。

結構汗をかいたような気がします。

かなり土まみれになった頃
ケイから
「サッカーチームを作りたいんだけど、一緒にやらね?」


そして、この日がPALRABOX誕生の日となりました。



当時Aは社会人チームに在籍。
少しの間、そのチームとかけ持ちで活動してましたね。
社会人の試合の後、こっちの練習に来てました。


ケイは高校卒業後、埼玉にある
国立リハビリテーションセンターに入所。
そこには当時サッカー部は無かったので
自分で部を作って、メンバーを集め、
2年間必死に練習。

そして新潟に帰省後、
「ここでも同じ事がしたい」と考え
私とAに声をかけたそうです。


私はというと、
このチームに入ってから、初めて本格的にサッカーに
取り組んだ、全くの素人でした。
運動もしてなかったので、ちょっと動くとすぐに息が切れ、
休んでばっかりで、練習の妨げになった事もありました。



3人でスタートしたPALRABOX。
その後、仲間を集め、練習を重ね、初めての大会に。


つづく。。。
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by izanagraph | 2012-04-19 05:40 | サッカーのこと | Trackback | Comments(0)

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